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2004年8月20日 (金曜日)

山本選手銀メダルおめでとう

アテネオリンピックのアーチェリー競技で、日本の山本選手が銀メダル!! ロスの銅メダルに続いて2つ目のメダルだ。
実は、僕は大学時代アーチェリーをやっていた。
新入生の夏に関西に遠征し、甲南大学と定期戦でわが校は負けたが、甲南大学OBでモントリオールのアーチェリーで銀メダルをとった道永宏さんが母校甲南大学の応援にいらっしゃって、サインを貰ったのを覚えている。

山本選手は大学は違うけど一学年下で高校時代から将来を期待されている選手だった。学生時代、僕はアーチェリー漬けの生活を送っていたが、当時、アーチェリーの練習場は多くなく、東京23区では江東区木場、板橋区小豆沢、世田谷区三宿だけだった。

もちろん、各大学は練習場を持っていたが、アーチェリーは当時90m/70m/50m/30mの4距離で各36本矢を射ることが当時の正式ルール。
母校は30mの練習場しかなく、90m/70mの長距離は自主的に射場へ通う以外に練習方法はなかったので、僕は小豆沢をホームグラウンドとして長距離の練習をしていました。

猛練習の結果、いちおうソレナリになって小豆沢通いも2年目になったころ、その小豆沢に山本選手がフラッとやってきた。
当時、山本選手は学生ながらナショナルチームに入っていて、所謂スター選手だった。確か板橋区主催の非公式な記録会で50m/30mの2距離だったと思う。
僕も若かったし、山本選手は一応学年では下(キャリアは彼の方が全然上です)だし、いっちょカマしたろ・・・と思って勝手に勝負を挑んだが・・・・・。

山本選手は50mは調整で全然点数を出さない。もちろん、僕が勝手にエキサイトしているだけですからね。でも、僕がギンギンに気合入れて50mで飛ばしていると、途中から彼もコッチを意識しだした様子。
明らかに点を狙った打ち方になってきました。

そうこなくちゃ!!

勝負は30m 6本×6エンドの36射、1エンド60点満点の6回で合計360点満点です。
実は母校の練習場が30mしかないこともあって、30mは人の数倍練習しています。自分では30mのスペシャリストのつもりでした。そのプライドを懸けてアドレナリン全開で山本選手にガンを飛ばして勝負を挑んだわけです。
(山本選手、いい迷惑だったと思います。ゴメン。)

確か、最初の3エンドは僕は58-58-59、山本選手も確か同じような点数で3エンド終了時点では互角。この時点で非公式の記録会に参加している地元メンバーも、自分のことはさておき、すっかり「観戦モード」へ。
ナショナルチームの山本選手とどっかの学生の二人が日本新記録(当時は354点)ペースで争っているわけですからね。いつもは事務所の奥にいる区の職員まででてきて観戦しています。

4エンド目は僕が59、山本選手にミスがでて58で僕が1点リード。観衆がドヨめく。
僕は思った「勝てる」。

そう思った瞬間、重圧が体を固くしていき、ミスを誘発するのがメンタルスポーツの難しいところ。

でも、山本選手はそこからが凄い。負けるかも・・・という重圧をバネにして5エンド、6エンドを59-59で纏めてきた。逆に僕は重圧に負けて58-57。
結果は僕が349点山本選手が351点で僕の負け・・・・。
最後の2エンドの山本選手の気迫は凄かった。なんつ~か、こう圧迫感がコッチまで伝わってくる感じ。

負けて、やはり違うなぁ~~~~って思いました。あのメンタルの強さはハンパではありません。30mは距離が短く的が近い。
つまり、点数が取りやすいのです。でも逆にミスは命取りですから最もプレッシャーが強くかかるのです。

数カ月後、共通の友人を通じて「小豆沢での30mはナショナルチームの面子を懸けて必死だった。最後は(緊張で)シビレタ」という談話が伝わって来ました。
あっちも本気モードだったわけで、これが僕のアーチェリー競技生活でのベストマッチでした。
(う~む。公式戦じゃないから場外乱闘と言うべきか・・・)
山本選手の化け物ぶりがよ~~~く判って、また、自分にはアスリートとして欠けてる部分があることも嫌という程味わった出来事でした。

山本選手、20年も前のことだけど変な挑戦を受けてくれてありがと。そして2個目のメダルおめでとう!!!
僕もとても嬉しい。

p.s.因みに山本選手のコーチはどっかで聞いた名前だなぁ~って思っていたら、僕の母校のOBでして僕をシゴイたその人でした(笑)。

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コメント

おはようございます。

すごいですね~>オリンピックのメダリストと勝負

私も、19~21歳くらいにフィールドアーチェリーをかじっていましたが、本気でやってた訳じゃありません(笑)

#当時すでに社会人でしたので、あまり時間も取れませんでしたし。練習に通っていた京都山中のフィールドアーチェリー場も、現在すでに潰れています(残念)

投稿: 7J3AOZ(JH3YKV News Editor) | 2004年8月20日 (金曜日) 06時38分

二人の気迫が伝わってきて奮えました!

投稿: JA1YCQ | 2004年8月20日 (金曜日) 09時38分

すごい迫力でした!!

投稿: JF1JPC | 2004年8月20日 (金曜日) 23時08分

無線とは全然関係ありませんが、前回山本選手が代表漏れした時に「時の流れ」を感じて少し寂しかったのです。
今回再び代表になったと聞いて、とても嬉しかったです。その山本選手がマサカ(失礼)の銀。
団体戦も結果がでるといいのですが・・・。彼のことですから、チームの若い二人をリラックスさせて良い試合をしてくれると思います。

しかし、あの笑顔は昔のまんまだなぁ~。

投稿: ji1ani | 2004年8月21日 (土曜日) 21時19分

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「20年かけて金メダルを狙います」と笑った顔を見て、 「ああ、昔のマンマだ」と安 [続きを読む]

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